window.dataLayer = window.dataLayer || []; function gtag(){dataLayer.push(arguments);} gtag('js', new Date()); gtag('config', 'UA-109916841-1'); カトラリー|言葉の意味や使い捨て商品をご紹介! | お役立ち情報 |木村容器株式会社

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カトラリー|言葉の意味や使い捨て商品をご紹介!

カトラリー|言葉の意味や使い捨て商品をご紹介!

毎日何気なく使う「カトラリー」。

しかしカトラリーには様々なデザインのものがあって、食卓をおしゃれに演出してくれるアイテムです。

今回はそんなカトラリーについて、言葉の意味やおすすめの商品についてご紹介します。

カトラリーとは?

『カトラリー』という言葉を初めて聞いたという方もいるかもしれません。
まずはカトラリーとはなんでしょうか。

カトラリーは洋食を食べるときに使われる「ナイフ」や「フォーク」「スプーン」などを指す言葉です。

フランス語のcoutellerieが語源とされていますが、英語のcutleryのように「切るもの・ナイフ類」という意味を持っています。

材質などは特に関係なく、銀やステンレス、プラスチックや木製のナイフやフォークなども『カトラリー』に含まれています。

ですからカトラリーは総称なんですね

「カトラリー」OR「カラトリー」どっちが正しいの?

「ナイフやフォーク、スプーンなどを総称して『カトラリー』という。」 と思って話していたら、「カラトリー」ではないか?という方もいます。
どちらが本当なのでしょうか。

英語で「cutlery」(もともとは、フランス語のcoutellerie)とあり、「カ」の次は、「t」で、「ト」です。

「ラ」ではないようです。検索では両方とも出てくるので、間違えている方が多い証拠なのかもしれませんね。

ですからカトラリーが正しいと言えます。

カトラリーの始まり

先回のコンテンツカトラリーの歴史 世界のカトラリーについて、では欧州側のカトラリーの歴史に迫ってみました。

その中でスプーン・フォーク・・・などと言ったカトラリーというと、
まずは欧州で始まったという!と思っている方が多いと思うのですが、案外欧州でのカトラリーの歴史は浅いものであったことを書きました。

今回はわが国日本です。
この日本のカトラリーの歴史に迫ってみたいと思います。

歴史に残る 日本のカトラリーの最初

カトラリー 木製

ではこの日本ではどのようにカトラリーは始まったのでしょうか?

やはりメールも電話行わず、お悩み相談窓口もなかった時代、意思も通じていなかったとしても同じ人間、考えることは一緒です。

多分に漏れずこの日本でも狩猟し料理をし、そして食べるようになるとカトラリーというものが必要になっていきました。

多くの人も感じているように現代一般的にカトラリー(ナイフ・フォーク類)と言っているものが、一般家庭にカトラリーが定着したのは、昭和初期ごろです。

しかしこの日本でいう一般的にカトラリー(食事用の道具)というものが使われるようになったのは、かなり昔にさかのぼれます。
まず日本の旧石器時代です。

その証拠として日本の旧石器時代から石器時代頃の埋蔵品から木製の匙が出土されており、縄文時代の遺跡からは石匙(いしさじ)が見つかっています。

日本の旧石器時代から始まるカトラリー

旧石器時代から始まった、日本のカトラリーの歴史の記録が残っているのは6~7世紀頃からです。

その後、6~7世紀頃に朝廷が中国に遣隋使を派遣した時に箸と匙(さじ)を使う食事作法が伝えられたと伝えられています。
そのためこの日本でも、平安時代には宮中の正式な食事に箸と匙(さじ)が並んでいました。

その証拠に、日本の公式の記録として残っているもので『今昔物語』によると、平安時代には貴族が銀の匙(さじ)を使っていたと考えられています。

そう考えると、どこから??!!と思いますが、
当時は、シルクロードを使って中国から金属のスプーン、つまり匙(さじ)が入ってきていたようです。

かの有名な『枕草子』の中で清少納言が「金属の匙と食器がぶつかってカチカチと音がする。いとおかし」と書いていることからも当時カトラリーが宮中で使われていたことが分かります。

そしてその当時、粥(かゆ)などを食べるカトラリーとして今でいうスプーンが使われ、その名称として、形が蓮(はす)の花びらに形が似ていることから、そのカトラリーは蓮華(れんげ)と呼ばれたと書かれています。
奈良の正倉院の御物にもスプーンが残っているんですよ。

思っていたより、日本のカトラリーの歴史はかなり古くまで遡れます。

手食 食事マナー カトラリーがない

その当時(平安時代)、宮中で使われていた匙(さじ)=スプーンですが、その当時の宮中の影響力の少なさゆえか、室町時代以降、寺社仏閣以外では匙(さじ)は使われなくなります。

それと同じく宮中の金属のスプーンが食卓からこつ然と消えていったのです。
その当時武家の時代となり、以前より宮中は豊かではなくなってきましたので、カトラリーが非常に高価なものゆえか、その産業や貿易が進まなかったのか、その理由は分かりません。

しかし一般的には当時の主な習慣であったお椀を直接口に運んで汁を飲むという習慣から、箸のようには定着せず、茶の湯の道具などとして使われるにとどまったと考えられています。

ちなみに江戸時代に、将軍家や大名の侍医のことを匙(さじ)を使って薬を量ることから「お匙(さじ)」と呼んでいました。
古代の日本では寺社仏閣などから文化が広まっていくことが多々ありました。
当時の医者も多くの人が寺社仏閣に関係する人だったのです。

話はそれましたが、そのことから、医者が患者を見放すことを「匙(さじ)を投げる」というようになったとされています。

その後の発展

その後の発展は著しいものとなりました。

江戸時代中期頃から西洋料理が日本へ入ってくるようになり、それに纏わりスプーンも日本に持ち込まれるようになっていきました。

そして、明治時代以降、洋食の普及という文明開化の波が押し寄せ、一般的にもスプーンが使われるようになりました。
その代表的なカトラリーがスプーンです。

明治時代以降、カレーライスなどの洋食の普及に伴って、昭和初期以降、一般家庭にも定着し家庭にも急速にフォーク、ナイフなどのカトラリーが普及するようになっていきました。

面白いことにどの国、どの時代、どの場所でも発展のタイミングは一緒です。
ある程度平和になり治安が良くなり発展していくと余裕が生まれてきます。
その余裕と共に工夫が生まれ、その工夫をさまざまな製造者がするようになり品質が良くなっていき、安くもなっていきます。すると商品は急速に広まっていきます。

そしてさらに平和になり文明が発達していくと、使い捨て商品が普及するようになります。
カトラリーにもその時が訪れました。

使い捨てカトラリーの登場

この日本にて使い切り(使い捨て)スプーンが登場したのは昭和30年代です。
使い捨てスプーンを日本で取り入れた創業者は元自衛隊員の方だそうです。

今でもその方が作った会社が存続しています。
弊社でも取引をしておりますが、東商化学という会社です。
東商化学の方にその始まりを伺っています。

創業者は知人の紹介を受け、航空会社向けに機内のクルーが使用するコップ、
バラン、醤油ポンプなどの卸売から商いを始めたのが最初だそうです。

やがて時代の発展とともに、機内食向けで使い捨てスプーン、フォーク、マドラーの取り扱いを開始し、カトラリー(食器)の分野に参入していくようになったそうです。
その後、使い捨てカトラリーを製造するための設備を導入していき、自社製品として製造を開始し始めました。

当時競合他社が皆無だった為、プラスチック使い捨てカトラリーの草分けとして規格品のカタログ販売を開始。
現行製品の価格を設定したそうです。

これはどういうことかといいますと、東商化学が使い捨てプラスチックカトラリーの品質でも価格でも基準となったということです。
凄いことですね。

これらの情報を快く教えてくださった東商化学さまのご協力に感謝いたします。

今ではどんな場所でも見るようになったプラスチック製の使い捨てカトラリー。
日本ではこのような始まりとなっております。
とても興味深いですね。

プラスチックカトラリーの紹介

このプラスチック製の使い捨てカトラリー。

食文化が発展し、テイクアウトも花盛りの現代。今ではどこででもみるようになりました。

当社のような仕事をしていると食品容器などの発展には戦争などが関係しているということを知る機会がありますが、この使い捨てのプラスチックカトラリー。
飛行機がきっかけとは心が「ほっこり」しますね。

しかしそのように身近になったプラスチック製の使い捨てカトラリーでも形が同じように見えても、品質の差があるということをご存知でしょうか?!

皆さんも、使って直ぐにスプーンやフォークが折れてしまったりして困ったことってありませんか?

カトラリーまとめ

木村容器のパッケージコンシェルジュは、魅力的なお店作りに役立つ様々な情報を提供しています。

またお店に必要な店舗用の資材を数々用意しており、ほとんどを卸価格でご用意することができます。

ぜひ木村容器のパッケージコンシェルジュまでご相談ください!

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